戻ル


お子様はMTBが好き(いやロードはちょっと)

2009年8月22日

私はMTBが好きだ。
MTBのどこが好きなのかといえば、野山を走り回れるところが好きなのだ。
いきなり身も蓋も無いことを言ってしまえば、別にそれはMTBでなくてもいいのだ。
私は野山そのものが好きなのであり、自然に囲まれた、木々や草花の匂い、涼しい森林の小道、時には雪の降り積もった広い河原でのキャンプ、そういった遊びが好きなのだ。

MTBは、そのようなフィールドに踏み込むためのツールのひとつに過ぎない。
しかし、MTBでなくてはならない理由がある。
その理由は簡単。ロードやママチャリではそんな遊びは不可能だからだ。

MTBで山林に踏み込んでみると、徒歩で行く登山とは全く移動スピードが異なる事に気が付く。
徒歩の登山に慣れていると、MTBのあまりのスピードに距離感を失い、危険なほどフィールドの奥深くまで入っていってしまいそうになるほどだ。
私は最初、定石通りに地図とコンパスを持って、MTBで山に入ってみたが、MTBという自転車で走り回るとなると、この超定番である地図とコンパスが役に立たないことがわかった。
移動速度が速すぎるのである。
目標となる分岐や目印の地形など、気付かずに走り過ぎてしまうことが結構多いし、いちいち止まって地図と地形を確認していたのでは自転車というメリットの意味が無い。
慣れて憶えている地域ならばいいが、初めての地域だと、「今どこ?」という現在地の同定が、地図とコンパスでは困難なのだ。
そんなわけで、MTBで山林に踏み込むときにはハンディGPSが役に立つ。
これならば、現在地の把握が容易に即座にできる。

しかし、MTBは走れなければ、タダの重い荷物。
山でのMTBはそんなツールでもある。
林業などで使われる車道である林道を延々と走るのならともかく、登山者の邪魔をしない人跡稀なシングルトラックを走ろうと思えば、快適にペダルを漕げる距離はそうそうは無い。
延々と12kgを超える自転車を担いで登り続け、下りはといえば降りるんだか落ちるんだか区別がつかないまるで崖のような斜面だったり、人ひとりがやっと通れる急斜面沿いの道を半ベソになって進み、どこまで続くかわからない階段に泣き、土手から落ち、藪を漕ぎ、小バエに悩まされながら息も絶え絶えに生ぬるいアクエリアスを喉に流し込む。
だからやめられない・・・・・・・・・???

そんな激しく自虐的な場面の中で、ふと緩やかな林間の小道に出会い、木漏れ日を楽しみながら軽〜いペダルを漕ぎ続ける瞬間があったりもするのだ。
その先に、人っ子ひとり居ない渓流沿いの絶好のキャンプ地を発見したりすることがある。

* * * * *

さて。
ではロードの魅力とはなんだろう。

ロードの魅力はといえば、私は自転車そのものの魅力ではないだろうかと考える。
道具そのものの魅力である。
自転車乗りは趣味が嵩じるとロードに乗る、とよく言われている。

ロードは軽い。
余計なモノは一切装備からはずされ、基本機能を司る各部品も、究極的に軽量化されている。
その部品は芸術品にも例えられるほどで、機能美は見とれてしまうほどである。
ロードは「走る芸術品」なのである。

さすがに究極的に軽いマシンだけあって、メタボなオヤジがそのまま乗れるほどは甘くない。体重制限のある機種も多い。
究極の走る芸術品は、それを堪能するためには乗り手にも最低限のクォリティを要求する。
脚力も然り、心肺機能も然り。姿勢も乗車技術もある一定の基準を満たさなくてはならない。

芸術品を乗りこなすための自己鍛錬が必要なのだ。
車両そのものが持つスポーツ車のマインドがまたロードファンを魅了する。

・・・・・・と、ここまで書いておいてなんなのだが、私には魅力が感じられないのだ。

まず、ロードとは、ずいぶんストイックなシュミだなあ、と思う。
なんとなれば、例えば夏。
ロードの舞台は鏡のようになめらかな舗装路である。

 焼けたアスファルトの舗装路を延々と何時間も・・・・

暑がりの私は考えただけでもウンザリしてしまう。
マラソンと同じだ。
私には、遊びというよりも修行や訓練に思えてしまう。そう、ロードに乗る人は、よく「練習」という言葉も使う。

しかも、ロードは基本的に段差や小石を嫌う。
鏡のようになめらかな道路をスムーズに、とは、都心や郊外でもそう都合良く走れる道路はないだろう。
側溝、グレーチング、歩道、脇をばんばん走る自動車、バイク。どれもこれもがストレスだらけなのではないだろうか。

ストイックに走りそのものを堪能する、というのがロードの魅力なのではないだろうか。
私にはそう思える。
走りそのものを堪能するために、その道具である自転車を、自分の目的や好みに合わせて完成に近づけ、自分もその走りに合わせて肉体とメンタルを鍛える・・・うーん、とってもオトナな趣味ではないか。

* * * * *

私が小学生の頃、当時流行だったフラッシャー付き自転車を買ってもらった。
面白くて楽しくてピコピコギュルギュルと光らせて遊んだが、そういうギミックはじきに飽きてしまうものである。

5年生か6年生くらいになった頃、私は一大決心をしてフラッシャー類をすべて取外し、ハンドルをドロップハンドルにした。

その重たい改造サイクリング車で遠征に出かけたのだ。
横浜の自宅から国道1号に沿って多摩川を目指して10km、「多摩川サイクリングコース」の始点から終点まで30km。往復で80km。
その遠征を何度かやった。
当時は人間工学に基づいたサドルなど無く、というか、あっても子供の私はそんなものは知らず、帰ってからトイレで何回もイタイ思いをした。

なんだか、やみくもに自転車で遠くへ行きたかったのだ。
その心は、ロードの魅力への憧れそのものだったのではないだろうか。

そして、ロードの走りそのものに、自分にはそぐわない部分もまた痛感したのだった。

オトナになって、軽い高性能なロードを目にするたび、いいなあ、カッコいいなあ、軽いんだろうなあ、速いんだろうなあ、と涎が出そうになる。

しかし、それと共に、あの辛かったサイクリングを思い出すのだ。
車道を走る際の、自動車やバイクの恐怖、歩道のごつごつとした疲れる乗り味、サイクリングコースのだらだらとした登りの辛さ、向かい風の辛さ、距離の書かれた途中々々の道標だけを頼りに延々と走り続ける辛さ。
私の記憶の中には、サイクリングの思い出といえば、割とネガティブなものしか残っていない。

途中の陽に照らされた暑い休憩も、ゴールの殺風景さも、知らない風景の白々しさも、走ることの辛さをよりいっそう強調し、冷たいコーラも、河原の草原の草いきれも、十分に私を慰めてはくれなかった。

舗装路を、長時間、コンクリートジャングルの中の住宅地を見つめながら走り続けることは、私には辛かった。

* * * * *

さて、もっとチビだったころ、今でいうシティサイクルの子供用を買ってもらっていた。
それで何をしたかといえば、

・公園でみんなでドリフトごっこ
・同じく公園で自転車サッカー
・勢い良く走ってそのまま鉄棒につかまり、自転車だけだーっと走らせてガシャン
・細くて低いコンクリートの縁を渡る(一本橋)
・林の中をジャングルクルーズ
・土手を走り降りる

いや〜、やたらにワイルドな遊びをしておった。
自転車もよく壊れなかったものだ。
近所の男の子たち数人でそんな遊びをしていた。

思えば、ここに私のMTB好きの原点があるような気がする。
私の中の自転車遊びは、子供の頃のままなのだ。

* * * * *

ロードで舗装路やサイクリングコースを走れば、その機能をいかんなく発揮して、速く、軽く、すいすいと楽しく走れることだろう。
流れ行く風景や、目的地の風物、おいしい店、旅情など、楽しさは無限に広がっていく。

MTBはといえば、都会に暮らしていれば、山林にたどり着くまでどうやって重いMTBを持っていくのか。
登山者の歩く登山道はやたらに走っていいわけがない。MTBは自転車、つまり軽車両なのだから、基本的に歩行者である登山者と、登山道のシェアはできない、と私は考える。
都会の歩道や車道で、自転車が、歩行者や、他の車やバイクと相容れないのと同じリクツである。ロードシェアリングなど理想論は色々あるだろうが、現実、車道を走る自転車は邪魔者であり、歩道を走る自転車は迷惑なのである。
これは、登山道でも全く同じなのだ。

MTBは、人の歩かない季節や時間帯の登山道を遠慮がちに、痕跡(タイヤの跡)を残さないように注意を払って走るか、それこそ滅多に人の踏み込まないシングルトラックを走るしかない。

そして、いざ山間に踏み込んだとして、いったい全道程の何%を乗車可能なのか。
果たしてそれが面白い遊びなのか。

つまり、
ロードは普段の暮らしにマッチした楽しみ方をし易く、MTBは非・日常に脱出するために色々と準備が必要であり、しかもそのフィールドは限定的である。

しかし私にとってはロードとMTBの楽しさは一目瞭然なのだ。

延々と舗装路を走るだけのロード。
自然を満喫できるMTB。

* * * * *

結局、ロードを楽しむ人というのは、私からすると大人に見えるのである。
MTBではしゃぎまわるヤツラは子供の遊びなのだ。

そして、私はコドモの部類に入るのである。
オフロードの広いダートでドリフトごっこをして、深い山中のシングルトラックをジャングルクルーズし、土手だか崖だかわからない坂をMTBもろともころがり落ちるのだ。
そういうのが面白いのだ。

逆に、土手からMTBごと放り出された直後、思わず吹き出して笑ってしまうか、その愚行と未熟さに顔をしかめるかで、MTBを楽しめるかどうかが決まると思う。
これまで一緒に遊んだ人達のなかで、後者に入る人が案外多かった。
それは最もな反応で、人は大人になるとそれが普通のマトモな態度なのだ。
前者は変態的である。泥だらけになって遊ぶコドモである。
が、そういうのが純粋でイイのだみたいなイメージが世間にはあるようだが、いざ自分が土手から自転車もろとも放り出されて本当に笑えるかというと、そうはできない人が多い。私はこれまでたくさん見てきた。

そういえば、こんなことがあったっけ。

私があるスポーツブランドメーカーの短期カヤック教室に参加したとき、前日まで降り続いた雨のせいか、川が増水して水の勢いが大変強かった。
そこに、私ともう一人が乗るカヤックが「沈」してしまったのだ。つまり、転覆である。
もちろん、事前に水流のほとんど無い池のような場所で「沈」の練習はしている。それに、川に放り出されたときの対処も実践で習っている。そんなにすぐには役に立たないが。
上向きになり、足を上げ、川底の石に足先を取られないこと。体はライフジャケットで浮くのだ。川底の石に足を取られると、そこを支点として体が川に沈み、溺死の危険があるためだ。
そして「沈」した時、インストラクターの慌てっぷりといったらなかった。
もちろん、生徒の安全に責任を持つ監督者の立場は理解できるが、まるで自動車事故現場の当事者のような真剣さだった。
私はそれに相容れない違和感を覚えたのだった。
なんとなれば、私は楽しかったからである。
沈した時、私は「あーーっっ、やっちゃった〜〜!!(笑)」という気持ちだったからだ。
私はあのインストラクターの真剣な表情が忘れられない。
そして、4WDのクロカン遊びやキャンプやその他もろもろのアウトドアの遊びの中で、ふとした軽いアクシデントでも、この真剣な表情を見せる人がいる。
私はオトナとはあまり楽しく遊べないのだ。

* * * * *

ロードに乗る人のことを「ローディ」と言うらしい。
MTBに乗る人は「MTBer」これ何て読むんだ?エムティバー?なんか間抜けだぞ。
しかし、有名サイト『山さ行がねが』のヨッキれんのように、MTBを”山チャリ”とは呼びたくない。おそらく彼にとってはMTBでなくてもオフロードバイクでも4x4でもいいのではないだろうか。
私にとってMTBはMTBなのだ。山チャリではない。
MTBにはちゃんとした楽しみ方がある。

ロードでもMTBでも、それに乗る人でも、ヘンなネーミングは願い下げである。
シラケてしまう。

* * * * *

ロードに魅力を感じない、と書けば、結局ロードの悪口になってしまうのか。
いや、そうではない。
私一個人が思う、MTBとロードの、異なった魅力があるだけのことだ。
現に、100万円に近いロードを数台所有しているような人でも1台くらいMTBを持っていてたまに近所のハイキングコースに早朝出掛けて行く人も多いのである。

ただ、MTBは、レースに出たりする人以外は、案外普通のアウトドア好きの人が多いように見受けられる。
それがMTB好きの特徴なのだろうか。
とことんまで車両に入れ込んで、それを何年も続けてMTBをいじり倒す人よりも、オートキャンプやスキーと同列にMTBを楽しむ人のほうが目に付く。

* * * * *

自転車の世界ではロードと双璧を成すまでになったMTBというジャンル。
たまにはこんなくだらない比較をしてみるのも面白かろうと思う。


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